井伊家の歴史

次郎法師(井伊直虎)

2017年「大河ドラマ 「おんな城主 直虎」の主人公です

         
         遠江・井伊氏お家断絶の危機を救った女領主

井伊直虎(いいなおとら)
<次郎法師(じろうほうし)>

次郎法師
「次郎法師と虎松」 ©光山房

◆父:井伊家22代 井伊盛(いいなおもり)
母:新野左馬助親矩妹(にいのさまのすけちかのりいもうと)(祐椿尼・松岳院)

 井伊直虎(次郎法師)は、井伊家第22代当主・直盛の一人娘。
直盛には男子がなく早くより娘の許婚(いいなずけ)として従弟(いとこ)の井伊直親に家督(かとく)を継がせる予定であった。
ところが直親の父が今川氏に殺され、直親(9歳)自身も命を狙われたため、信州へ身を隠すことに。
直虎は直親が亡くなったと思い、龍潭寺で出家し次郎法師を名乗る。
 11年後、井伊谷に戻った直親は、直盛の養子となり奥山家の娘と結婚し、虎松(24代直政)が生まれる。
 1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いで直虎の父・22代直盛戦死。井伊家の家臣多数死亡し、大きな損失を被る。
 1562年(永禄5年)、23代直親が謀殺されると井伊家は存続の危機に。
翌年、20代直平死去。井伊の名を継ぐ男子は、直親の遺児、幼い虎松ただ一人となり、1565年(永禄8年) 龍潭寺南渓和尚の計らいで次郎法師はその後見人として井伊直虎と名乗り、女領主として井伊家を支えた。
井伊谷徳政令にみられる政治手腕は優れており、歴代当主に記名はないが
井伊家受難の時代を救った女領主として後世に語り継がれる人物である。
身を隠していた直政を1575年(天正3年)浜松城主 徳川家康公に仕えさせ、出世を見届けた直虎は、1582年(天正10年)8月26日、激動の人生に幕をとじる。


 次郎法師(直虎)の亡くなった時の戒名は、「月泉祐圓禅定尼(げっせんゆうえんぜんじょうに) 」(南渓過去帳に記載)。葬儀の時の位牌は白木である。
 後に追善供養により、諱名(おくりな)「妙雲院殿月船祐圓大姉(みょううんいんでんげっせんゆうえんだいし)」となり、塗りの位牌に記す。
(現存する位牌は龍潭寺と妙雲寺にあり、共に諱名が塗りの位牌に記されたものである)

 

 龍潭寺には井伊家墓所があり、直虎は生前結ばれることのなかった直親の隣に祀られている。



  次郎法師(直虎)をめぐる井伊家 家系図

 


次郎法師(井伊直虎)(右側)と
井伊直親(左側)のお墓




 井伊家御霊屋にある
 次郎法師(井伊直虎) と母の
 お位牌
 
 



 ▼「井伊直虎(次郎法師)」関連書籍

 *「遠江井伊氏物語」武藤 全裕(著)
 *「湖(あわうみ)の雄 井伊氏~浜名湖北から近江へ、井伊一族の実像~」
   公益財団法人 静岡県文化財団
 *「井の国物語」谷 光洋(著)
 *「井伊直虎物語」浜松歴女探検隊
  
※上記4つは龍潭寺内売店でも販売しております


 *「女(おなご)にこそあれ次郎法師」梓澤 要(著)
 *「剣と紅」高殿 円(著)
 * 「文明・自然・アジール~女領主井伊直虎と遠江の歴史~」夏目 琢史(著)
  「井伊直虎 女領主・山の民・悪党 (講談社現代新書)」夏目 琢史(著)
 * 「女城主・井伊直虎」楠戸 義昭(著)
  他


井伊直虎ってどんなひとでしたか?


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